ram’s blog

本と映画と絵画をこよなく愛する日々の記録

カント『自分で考える勇気』/ぼんやり立っていた

何度か図書館で借りて、通読出来なかったので、購入しました。

行き帰りの電車の中で読んでいます。しかし、どれくらい、自分で考えることができているのか、それは、果たしてどういうことなのか?

ぼんやりしているうちに、時が過ぎていきます。

朝(といっても昼ですが)、エレベーターが来るのを待ってるマンションの廊下で、何も考えず、ただ数秒間立っていました。聞こえてくるのは、間断ない鳥の囀りだけでした。

個人的な世界に何が起こっても、世界はこうして静かなのだと思いました。子どもの頃、こことは別の、マンションの廊下でじっと立っていた、あの静かさとほとんど変わりなく、見分けも付かないでしょう。

自分で考える勇気――カント哲学入門 (岩波ジュニア新書)

「めし」/原節子

成瀨巳喜男の「めし」を見た。

 

溝口健二の「近松物語」を見た流れで、昔の日本映画を見てみようという試みの一つである。

原節子はこれまでも小津安二郎の常連女優として認識してきたが、この「めし」の原節子が一番色っぽい。

 

めし

めし

 

 

思い出すこと

2月16日を境に、一度もブログを更新していないというわけで、これは日記を何も付けていないのと同じことであり、2ヶ月も経つと、その間に自分が何を感じ、考えていたのか、ほとんど思い出せないのであります。

 

今日の午後、半年ぶりに友人と会うことになっているので、まあ、少なくともこの2ヶ月、自分の心を通り過ぎていったものが何であったか、思い出せるまま、思いつくままに列挙したいと思うのであります。

 

大西巨人の「神聖喜劇」を読みかけて、中断しました。

溝口健二の「近松物語」を見ました。

●それは木庭顕という人が中高生と対話した「誰のために法は生まれた」を読んだからでした。「近松物語」と「自転車泥棒」を取り扱った部分が面白かったです。

●「1分で売る」という即決営業のマニュアル本を読んで、実践して、なんとなくうまくいって、またマニュアル本を漁るように。

●「誰のために法は・・・」の中に森鴎外の「山椒大夫」についての言及があったので、それと「高瀬舟」と「阿部一族」を読んでみました。印象に残ったのは、人買いの船に乗せられた使用人の姥竹が「ええ、これまでじゃ。奥様、ご免下さいまし」こういってまっさかさまに海に飛び込んだ。というくだりです。

 

と、まずはここまで。

 

みうらじゅん/蛭子能収/人生相談/水彩画/クレーム/友だちが転職/人事異動でストレス

2月に入ってから、ずっとブログを更新することができていませんでした。

仕事が忙しかったということが第一の理由ですが、その他にも、気持ちを滅入らせる出来事がいくつかあったのだと思います。

時間が経つと、それが何であったのか詳細に思い出せなくなるところは、ありがたいことですが、モヤモヤとした不穏な気持ちは続いています。

そのうち今感じている不安や落ち込みの気持ちすら忘れるでしょう。

でも、この2週間ほど、何があったかメモ程度で思い出してみたいと思います。

 

みうらじゅんの「最後の講義」に感動。これをきっかけにみうらじゅんの本を読み直したり、新しく読んだり、山田五郎とのトークDVDを見たりしました。

「ない仕事」の作り方 (文春文庫)

みうらじゅん&山田五郎の男同志2 ライブ版Vol.1 [DVD]

 

護国寺の節分のイベントを見物に行きました。

 

「もっと信念持って仕事しろよ!」と顧客から罵倒されました。

これは、かなりの落ち込みでした。

 

「人生相談」というキーワードで検索して、蛭子さんの「ゆるゆる人生相談」と先日急逝した橋本治の「かけこみ人生相談」に行き当たり、蛭子さんの「ヘタウマな愛」も読みました。

蛭子能収のゆるゆる人生相談

 

久しぶりに水彩画を描きました。

 

十数年来の職場の友人が(勤務先は違うのですが)、自分のやりたい道一本で食っていくといって会社を辞めることを知らされました。

 

直属の上司が人事異動でかわることになり、数値目標と締め付けが厳しくなりました。

 

あれやこれやで、自分の「仕事のできなさ」にぶるぶる震えるのでした。

 

ボナール『棕櫚の木』/『フィリップス・コレクション展』/ジャック・タチ『ぼくの伯父さん』

最近仕事が(気持ちの上で)忙しく、休んでいる場合ではない、なんていう妙な焦りがあったのですが、せっかくだから休もう、ということで、ゆっくり起床してから録画されていた「ぶらぶら美術館」を見ていました。

 

今日の予定は行きつけの病院に薬をもらいに行くくらいの計画でしたが、番組で紹介されていた『フィリップス・コレクション展』ボナールの『棕櫚の木』が来ていることを初めて知り、どうしても見たくなって、急遽、妻を連れて見に行きました。

ついさっきテレビで見ていた作品を、数時間後には目の前で見ることができる喜びを感じました。

 

『棕櫚の木』のあの色彩の賑やかさ、画面の上部を大振りな棕櫚の葉に覆われた安心感、逆光効果による手前の女性の顔の涼しげな暗さ、きらきらした中景の屋根、ぼんやりほのぼのした遠景の野並眺めるにつけ、見つめるにつけ、心に染み渡る喜びを感じました。

ボナール・「棕櫚の木」 プリキャンバス複製画・ ギャラリーラップ仕上げ(8号サイズ)

その他にも、『犬を抱いた女性』と『開かれた窓』を見ることが出来ました。『開かれた窓』というのは画集の中でも見たことがない絵でしたが、とても味わい深い絵でした。

『全員巨匠!』といううたい文句通り、かなり満足感を味わえる作品展です。なかでもセザンヌの作品や、アンリ・ルソー(1枚だけでしたが)、ドガゴッホ、クレーの作品に出会えたのはうれしかったです。

モランディ、ニコラ・ド・スタールという画家には、ちょっと注目してみたいと思います。

 

帰宅してからは、こたつでゴロゴロしながら、ジャック・タチ『ぼくの伯父さん』をDVDで鑑賞しました。見るのは3回目くらいですが、いつも途中で寝てしまうので、今度こそは、と思いながら見ていましたが、やっぱり途中でうつらうつらしながらなんとか最後まで見ました。

ジャック・タチ「ぼくの伯父さん」【DVD】

とくに、言うことはありません。

人事異動/『なぜ私だけが苦しむのか』

今日は人事異動の発表がありました。Stayでした。役職で言えば滞留しているせいで、どんどん追い抜かれていきます。まあ、そんなもんです。

自分の仕事のいい加減さを思い知るのはこういうときなのです。普段は、どうも「楽をしたい」という気持ちに負けてしまいます。「何をそこまで」というけちくさいひねた思いに囚われることが多いです。

まあ、でも、今できることがひとまずのベストだというつもりで生きているのが、正直なところです。

今日は異動発表を見るのが嫌なのでこたつの中でグズグズ『自殺会議』を読んで、読み終えました。大変興味深く読ませてもらいました。

 

それから電車の中では図書館で借りた『なぜ私だけが苦しむのか』を読んでいます。

なぜ私だけが苦しむのか―現代のヨブ記 (同時代ライブラリー (349))

さて、これを読んだら次は何が待っているでしょうか?

明日は、何が待っているでしょうか。

スマナサーラ長老の法話の中で「私という実感はどのように成り立つものか?」と観察しなさい、と言っています。

そうしたいと思います。

今夜の麻婆豆腐は辛かったです。

 

『セザンヌと過ごした時間』/『八本脚の蝶』/『影響力の武器』

今日は、久しぶりの休日でした。午前中は途中まで見ていた『セザンヌと過ごした時間』を見終わり、『ぶらぶら美術館』のフェルメール展の再放送の回を見てから、のんびり図書館まで出かけました。

セザンヌと過ごした時間(字幕版)

ここ最近、いろんなブログを見ているうちに紹介されていた本を数冊予約してありました。最初に読んだのが『八本脚の蝶』です。ちょうど末井昭の『自殺会議』も平行して読んでいるところだったので、どこかつながっている印象を持ちながら読みました。

といっても精読できたわけではありません。膨大な読書量と切実な言葉に圧されました。

八本脚の蝶

それから『影響力の武器』を斜め読みしました。明日にでも使える手法はないかという、功利的な自分を感じました。でも、あまり得るところを感じられませんでした。

 

夕方、父親と電話で話しました。今日もまた、「全ては生まれてくる前から決められている」という話でした。映画『メッセージ』の原作である『あなたの人生の物語』の解説をしてくれました。時間があったら読んでみようかと思います。

 

やはり、毎日何か、記録を付けておくことが大切だと思いました。そうしないと、何があったか、ほとんど忘れてしまいますから。

今夜は、春巻きを食べました。