『だまされ屋さん』星野智幸
正直言って、大変な面白さでした。
語りのドライブ感といったら、圧巻と言っていいと思います。
久しぶりに引きずり回される小説を読みました。
小説自体の構成としては、何もかも放り込み過ぎ、そして全てにアンサーしようとし過ぎて、最後の最後は力が薄れた印象がありましたが、それでもこの筆力には敬意です。
著者星野智幸の本を読むのは「夜は終わらない」を途中で断念して以来のことです。それまでも、定期的に追いかけていたので、これを機に読み落としていた作品に当たってみたいと思います。
私は、この物語を「秋代」でも「巴」でもなく、やはり「優志」を中心にして読みたいと思いました。当事者たちから「正しさの刃」によって切られること、「存在しているだけで無関心の罪を犯しつづける」と感じること、そして、誠実に悩み苦しんでも、いやむしろ、だからこそ、周囲に「ウザ」がられること。
しかし、いつの時代も、自己中心で、未熟であるが「かっこいい」「超人気」者が「モテ」るのです。それは「ひがみ」以外の何物でもありませんが、作者はそんな人気者「ハリー」はこの物語の中から救い出せなかったのではないでしょうか? 人の「思い」に敏感で、心を読みすぎ、あげくには「心配も支配も紙一重」と言われ「善人ヅラするなよ」「優志、自分の人生を生きろよ」と言われる「優志」がいとおしくなってきます。
「紗良」に内心「ウザ」がられる「優志」。
この野蛮な世界のデリケートゾーンを歯を食いしばって生きる「優しい人々」への応援歌であることは間違いないと思います。
『悲しみとともにどう生きるか』の星野智幸さんのパートを、もう一度じっくり読み返そうと思います。