ram’s blog

本と映画と絵画をこよなく愛する日々の記録

『女と男の観覧車』ウディ・アレン

一度更新が途切れるだけで、何がなんでも毎日更新しようという気が失せていくのを怪しんでいます。


でも、書き留めておかないと忘れてしまうだけのことを書いておきたいと思います。


今日は少し早起きをしたので映画を一本見る時間が取れました。

ウディ・アレンの『女と男の観覧車』です。

女と男の観覧車 [DVD]

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最近のウディ・アレンはあまり熱心に見ていませんでした。毎年のように作品はあるので、気が向いたときにちょっと見るくらい。ケイト・ブランシェットの『ブルージャスミン』も、ものすごく期待したのになんとなく痛々しさだけが残る後味だったので、手が伸びなかったのです。

さて、この『女と男の観覧車』ですが、久しぶりの傑作ではないでしょうか。
同じブルックリンでも、都会的な余裕がある作品ではないので気軽にゆったり見返せるような映画ではありませんが、どこか『欲望という名の電車』を思わせる凄味を感じさせました。
それを感じたのは、夫の前妻との娘キャロラインを見殺しにした後、過去の破れた夢にすがりつくように場違いな舞台衣装を身につけたケイト・ウィンスレットがまさに''芝居''がかった長台詞を言う場面です。人生のどんな場面にもしっくりとこない違和感を感じで暮らす人物が、まさにその実感を表出するこのシーンは、なかなかの凄味がありました。

そして、火付けの衝動を抑えられない息子、前夫であるギャングの手先に殺され埋められたであろう若い娘、娘を失った恐怖、捨てられる恐怖に怯えて再び酒浸りになり始めた夫、そしてこんなはずではなかった人生を受け入れられず茫然とする主人公。多くのことが解決もせず、救いもないままに終わったことにより、この映画は、ウディ・アレンの久々の傑作になったのだと思います。
冒頭のシーンから、モノクロだったらまさに50年代の名画といった画面です。ケイト・ウィンスレット神経症的な饒舌も、アレンの分身のようなミア・ファローより一段格が上だったように感じます。

今なら『ブルージャスミン』の良さがもう少しよく分かるかも知れません。