ram’s blog

本と映画と絵画をこよなく愛する日々の記録

怪我をしました/しょせん人生運不運?

年明け早々に、結構な怪我をしてしまいました。

とにかく毎日、日記、備忘録がわりにブログを書こうと続けてきましたが、このタイミングで途切れました。まあ、何の問題もありませんが。


1/6の夜に、急に別の部署で代替が必要だというので辺鄙な場所まで呼び出されたのですが、結論からすると、わざわざ代替を呼ばなくても問題ない状況であることが見て取れました。まあ、僅かでも役に立てたなら良かった、ということにしよう、などと殊勝なことを考えながら家路に着いたのですが、どこか釈然としないところがあったんでしょうかね、色々なことを頭の中で駆け巡らせながら、わざわざ持ち場を離れなければできたことなどを数え上げて、多少ブリブリしていたのでした。

いつも駅から家まで歩くとき妻に電話をして、もうすぐ着くよなんて言って途中で切るのですが、その日もそうして一人考え事に夢中になりながら歩いていると、ふと、すれ違いざまに中年女性といった人がこちらに近づいて来るではないですか、咄嗟のことに身構えると、暗くて顔はよくわかりませんが、ニヤニヤしながら道を塞ごうとします。この時点で、命の危険を感じ、わーっと逃げようとした途端、つまずいてその場に思い切り転倒しました。

この時は、背後から刺されるかすると思い込んでいたのですが、その女性は、ゴミ捨てついでに迎えにきた妻でした。


なんとなく状況が飲み込めた瞬間、したたかにアスファルトに体を打ち付けた激痛が駆け巡ります。痛い痛い痛い痛い〜っと叫びながら、ああ、骨が折れたな、と思いました。


家に帰り着いて、確かめてみると、右膝の皮がベロリとめくれて血が滴っています。ぶっつけた箇所はズキズキするし、一日ツイてないことがあった上に、極めつけはこれか、と落胆しました。妻は、余計なことしなければ良かった、と悔いながら謝っています。私は自分のアホさ加減に脱力していました。


それから昨日、今日と激痛に耐えながらヨロヨロしています。これは今、職場に向かう電車の中で書いています。

恐らく、全治3週間から1か月というところでしょう。骨は折れていないと思いますが、結構な痛みです。

これを機に、またいろいろなことを

考えましたが、とにかく一番は、今に心を落ち着けておかなければならない、ということです。現在を離れて過去や未来に思考が飛び回っているせいで、迎えにきた妻が、通り魔に見えてしまうわけです。

今、今、今、と念じようと思います。

この忙しいときにこんな怪我をするとは! という怒りに対しては、ま、こんくらいのペースで無理せずやれや、というお告げやな、と思うことにしました。そして、運、不運ということを考えました。

これは、周りを見過ぎ、周りが見え過ぎ、ということの弊害なのかと思いました。この年まで病気らしい病気も怪我もしたことがない人がいるらしい、ということがネットで検索すると分かりますし、テレビでも幸運な人々の情報があふれています、まあ、その反対に見えることもあるわけですが、だからこそ、何かあるとすぐ、運不運とか言いたくなってしまうのです。

昨日父親と電話で話していて、怪我したよ、というと、「まあ、何が起きても有り難く受け取ることだ」と返されました。怪我の程度を聞くことも、大丈夫か? ということもなしにです。

じゃ、まあそういうことにしようか、と思ったのでした。


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人生、しょせん運不運

人生、しょせん運不運